

2010.02.02 妙安寺
大きなケヤキがあり、参道にはまだ若い枝垂桜、本堂前には御衣黄、秋には本堂横の紅葉が美しい。しかし雪の積もったようすを見に来たのは初めて。

2010.02.04 仲台寺
まだ若い梅の樹が何本か並んでいる(以前はなかったような気がする)
その下に牡丹の花壇。蝋梅はもう終わりかけていた。

多摩全生園はハンセン病患者と(回復者)を収容し続けてきた施設である。
療養所といえば静かに治療に専念するはずの場所だが、施設運営のための作業はかつてほとんど総てが患者の作業として強制され、なくなった患者の火葬までも入所者のなすところであった。プロミンという薬が発見されてからは初期治療をすれば副作用を残すことなく回復するようになったが、薬のない時代には末梢神経の麻痺を伴う患者にとっては作業によって怪我をしてしまうことも多く、治療どころかかえって症状を悪化させられ、子供を生むことも禁じられたため妊娠したものは堕胎させられ(胎児はホルマリン漬けとなった)、退所規定のない「らい予防法」によって回復した者さえ長い年月をこの中生きていくしかなかったのである。

この建物は少年少女舎。今は使われず荒れた状態になっている。
この近くに山吹舎というこれも今は使われていない男性独身寮があるが雑居房である。
山吹舎は修復保存されている(多くが募金による)が、患者が建設した全生学園という建物は老朽化により取り壊されてしまった。この少年少女者もこのままではいつか取り壊すことになってしまうだろう。このような場所で誰もが家族から引き離され、親兄弟の墓参にさえ行くこともできずに名前さえも変えて生きてきた。戦後50年以上にわたって訴えられてきた患者の願いはようやく「らい予防法」の廃止、国家賠償訴訟の形となって結実したが、根強く残る社会の偏見、あるいは無知・無関心のために実際に退所して生きていけるものは多くはないという。
治る病気になったあともなぜ長い間ここで生きていくことを強制されねばならなかったのか。
なぜ悲痛な叫びは私たちに届かなかったのか。
それは今もこの病気を遠ざけておきたいという根拠のないおそれから来ているのではないか。
行政の過ちとして他人事のように考えてはいないか。
ハンセン病が感染する可能性のあるのは未治療の患者からであるが、感染力は弱い。
感染しても発病する確立も低く、現在日本での感染者は年間0~1人程度だが海外での感染である。
多くの人にハンセン病が治る病気であること、遺伝する病気ではないことをしってもらいたい。
同時に収容所としての役割をしてしまったハンセン病療養所でどれだけ非人道的な扱いがされていたかということも忘れてはならないことである。病気が原因ではなく重監禁房に収容されたために22人の患者がなくなっている。
冬は零下16度にもなる暗く狭い部屋に最長533日も収容されていたものもいたそうだ。
多摩全生園の入所者は現在300名をきり、平均年齢は80歳。
頼る家族もないこの後の人生を少なくなっていく仲間の中でどんな気持ちで暮らすのだろうか。
歴史を風化させず、私たちの社会の楔とするためにも多摩全生園を人権の森として残す構想が実現されることを望む。
by mariquilla
踏みしめて